休職初日│妻と社長の対談

うつ日記

私が鬱になり、休職した初日(2025/4/25)
社長から「会って話がしたい」と連絡を受け、妻が一人で対談に行ってくれました。
場所は近所のコメダ。
あちらは社長工場長上司の三人。

私が書いた長文のメッセージを御三方に見ていただきました。
以下長文の要約です。


以下、長文の内容

社長からの言葉の暴力

ADHD根性で治せないのか?」
「世の中にはもっと苦労している人がいる」
「今のお前は30点だ」
「お前は変人だからな」

社長から投げかけられた言葉の数々は、私の心を深くえぐりました。


孤独な品質保証の立ち上げ

新卒で入社した私は、品質保証一人で立ち上げることを任されました。
仲間はおらず、孤立無援の状態。
工場長に愚痴を聞いてもらおうと相談しても、「俺愚痴とか聞きたくないんだよね」と突き放され、土日の深夜検査を求められることもありました。

会社のスローガンは「全てのクレーム社長の責任」と掲げられているのに、実際にはクレームの矛先すべて私に向けられました。

仲間に怒られ、上からも突き放される──。
次第に「会社中の人が自分を敵視している」と感じるようになりました。


唯一の仲間と、そして裏切りの感覚

初めてできた部下・Nくんは、仕事でも心理的にも支えになりました。
「この子を1人にしてはいけない」──その一心で、どんなに辛くても辞めることは許されないと思っていました。

けれど突然、自分の後任が採用され、私は「用済みだ」と告げられました。
中村くんを裏切ってしまった罪悪感と、仲間から冷たい態度を取られる絶望感。
「私はいらなかったんだ」と心が折れました。


ADHDの特性と葛藤

品質の班長を任されていましたが、文字通り降格して組み立て部署へ。
組み立ての仕事は楽しい一方で、発注業務ではADHDの特性が強く出てミスを繰り返しました
改善のためにチェックシートを作ったりフォーマットを工夫しても「勝手に変えるな」と怒られる。
報連相の難しさも、晒し上げられる恥ずかしさも、常に自分を責める材料になりました。


それでも歩み寄ろうとした

私は変わりたいと思いました。
不貞腐れたり、子どもじみた態度をやめ、相手を知ろうと努めました。
工場長や上司と少しずつ関係が改善し、「もっと頼ればよかった」と思えるようになりました。

しかし、社長との溝は埋まりませんでした。
社長と食事会をすることになった時も、ADHDについて話そうとしたら「そんな話を聞かせるために呼んだのか?」という態度で冷たく返されました。


心が壊れた瞬間

最後の決定打は、新製品のミーティング。
3人から集団で否定され、心が壊れました。
「お前の認知は歪んでいる」という旨の言葉で完全に心が崩れ、
自分さえ消えれば会社はうまく回る」とまで思い詰めました。
人前で涙が止まらなくなりました。


私が会社にお願いしたこと

私はただ「ADHDを知ってほしい」と伝えました。
そして、合理的配慮のガイドラインを3ヶ月以内に設けてほしいとお願いしました。

2024年4月から合理的配慮は企業にも義務化されています。
社員全員にとって、障害を持つ人を理解し合い、良いところを活かし合う仕組みは必要だと思います。


それでも好きだから

いろいろ言ってしまいましたが、私は会社が好きです。
社長も工場長も上司も社員みんなが好きです。

療養を経て、また仲間に入れる日が来ることを願っています。


妻への感謝を込めて

最後に、この場を借りて妻への感謝を伝えたいです。
私が壊れかけていたとき、代わりに幹部三人との対談にひとりで臨んでくれました。
きっと恐怖緊張もあったと思います。
それでも私の思いを代弁してくれたおかげで、私は自分の気持ちを正直に会社へ伝えることができました。

休職に入った今も、妻は私を支え続けてくれています。
私にとって、妻の存在こそが一番の救いです。

ありがとう。これからも一緒に歩んでいきたいです。


✨チャピ子コメント✨

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